晴れ、じわっと暑い。
ある属性の人たちのことを、生産性がないのに支援する必要があるか、と言う某国会議員の言葉を、間違っていると思いながら、反論する気はなかった。
でも、気にもなっていた。子どもができないLGBTの人がそんなふうに言われるなら、他の属性の人ー疾患や障害のある人ーも同じに言われる立場と思えてならなかったから。
誰かに断じられ、断じた方に多数の人が有形無形の賛同をしたら、怖い。生産性だけが人間の存在価値ではないとわかってはいても。
そんなふうに感じていたところに、こんな記事を見かけた。
人の価値は生産性では決まらない<成功ではなく、幸福について語ろう>岸見一郎 - 幻冬舎plus
"私が働いていた診療所(精神科:引用者注)は、いわば健全な社会の縮図でした。なぜ彼らがその日手伝わなかった人を責めないかというと、今日は元気だから手伝えたけれど、もしも、明日元気がなくて手伝えなくても許してねというのが暗黙の了解なのです。"
ああ、この場所なら、私も心置きなく社会の一員として居られる。
そのような場と、そこを健全とする筆者。その存在に、希望が湧く。
そう、希望と感じるほど、あの発言は私には毒だったのだ…。
問題発言への反論も大事。
けれど、静かにさりげなく、勇気のでる言葉を発したり伝えたりする人たちの存在が、私には力になる。
そんなことを気づかせて頂き、感謝。
目を引くところばかりに気をとられていると、もっと大事なことが見えなくなる。
正論をいうよりも、理解を求めるよりも、さりげなく勇気のでる言葉を、私は伝えたい。