この間出かけた仙台で、患者の友と会いました。
子どもの頃、同じ病院で、同じ頃に同じ手術をし、
けれども病院で会うことはなく、お互いに存在を知らず。
出会ったのはインターネットのおかげ。
大人になった女性が向き合う出来事で苦しんでいた仲間と、専門医の講演会を開催したことがありました。
そのご縁から、十数年。
お互い再手術を経験し、お互い元気で、また会えて。
会えただけでもうれしくて。
患者あるあるのよもやま話が弾みました。
年下の彼女は、悩みはあっても健やか。
いろいろ考えすぎる私には、まぶしかった。
私の選べない、選ばない道の行方を見られたようで、頼もしかった。
ありがとう。
*
講演会の頃、専門医の研究会に患者も参加できると聞き、出かけたり、
ネット上に患者の語り合う場を設けたり、活動していました。
状況が変わり、今は小休止。
今回、専門医のセミナーがあり、そこで彼女と落ち合いました。
セミナーでは、治療も見識も変わってきていると実感します。
治療の解説を聴けば、問題解決の道や職人的な仕事にわくわくします。
でも、患者にとって大事なことを忘れられている気がして、落ち着かなくもなります。
健康だったら、私も気づかないであろうこと。
できるなら、そこに橋を架けたい。
でも、医療は異文化のようなもの、
未だどうしたらいいのかわかりません。
私のように、血流を大きく変え、自然に反する薬(血液を固まりにくくしている)や異物を使う体で年齢を重ねるとどうなるかは、未知の世界
(一人ひとり違うので、誰でも年齢を重ねた先は未知の世界ですが)。
今は手術を終えても生涯フォローが必要と言われますが、どこの病院でもというわけにいきません。
遠くの病院まで通うのが難しくなったら、近くの病院や、往診できる医師に診てもらえたり、
頼れる人に囲まれるようになりたい。
また彼女と会える日を楽しみにしながら、そんなことを思うのです。