今は、ポジティブな言い方、受け取り方をするのがいいという風潮があって、
ネガティブなことを言葉にするのはよくないという気にもなりますが、
違うんです。
うれしいがあるから、かなしいがある。
楽しいがあるから、苦しいがある。
快適があるから、不快がある。
あることを、ないことにはできませんから、
それは避けないで、感じ、表現していけばいい。
泣いたり怒ったり愚痴ったり。
人前では恥ずかしいものだし、
相手に悪いとか巻き込みたくないとか思うし(私の場合)、
なかなかできない、という思いがわきますが、
今は一旦置いてください。
歌や詩らしきものにしたり、物語にしたり、
踊りのようなものにしたり、音にしたり、
描いたり、色を使って塗ってみたり、
そうして何やかやして、
かなしみも、怒りも、やるせなさも、苦しさも、
ないことにしないで表現されてきたのではないのかな。
芸術にはならなかった表現が、たくさんあっただろうな。
ただ、残らなかっただけで。
もしかしたら、残さなかっただけで。
ネガティブなものがないわけではなく、
感じなかったわけでもなく。
対応の仕方があったとしても、
それが隠れて見えなくなっているだけ。
今、不安があるとしたら、
探ってみれば何が怖いのかわかってきます。
コロナで不安だとしたら、
感染して苦しむのが怖いのか、
人に感染させるかもと思うのか、
収入がなくなりそうなのか、何なのか。
その何かは、いくつもあるかもしれませんが、
ひとつ一つ対応すれば、不安はかたちを失うでしょう。
正体のわからない不安や不調だとしたら、
自分の中にある、表現できずにいた何かが、
表現されたいとメッセージを出しているのかもしれません。
それは、表現することでかたちを変えていくでしょう。
愚痴を聞いてもらったら、「ありがとう」
相手に当たって酷いことをしたと思ったら、「ごめんなさい」
それだけでいいのです。
経験したくないような出来事で湧く思いも、
ネガティブとされるタイプの感情も、
すべて私の一部分。
それは、ここに居合わせたから引き受けることになった
役目のようなものかもしれない。
そんなふうにも感じます。
たまたま出会ったことに、自分はどうしていくのか。
今はそれを問われているように感じます。
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以前書いたメモ書きを、まとめてみました。