晴れ、風あり。
まだ夏は去る気がない模様。
食べきれなかった野菜を捨てるとき、少々痛ましい。
ゴミになるから。いえ、土に返せないから。
前は役に立つはずのものを活かせない罪悪感が強かったのですが、
今は、自然の循環に戻せないことが痛ましいと思うのです。
食べられないまま捨てる罪悪感は、
考えてみたら人間のことばかり慮っているよう。
野菜が出荷されずに畑で潰されたり捨てられたりしても、
食べられることと大した違いはない、命の終わり。
人が勝手に価値が違うと思っているだけ。
植物でも動物でも、生きればいずれは命を終え、自然に還る。
誰かが食べることも、腐ったりして土になることも、
同じ、自然の一部で形を変えていることでしかない。
それを、人が世話し、食べられる形にしているから、
その手間ひまを思いなさい、ということになっているようで。
感謝は必要ですが、自分の見込み違いを罪にしなくてもいい。
むしろ土に戻さず、ゴミ扱いすることの方が気になります。
生き物に失礼ではないかと。
人間が自然の中に戻れないことも、考えてしまいます。
子どもの頃、飼っていた猫が命を終えたとき、庭に埋葬しました。
でも人は土になれません。今の日本では、一度焼かないとならない。
埋葬した猫のように、そこに生える草花の養分になれたらいいのに。
壁を築き、内側を快適に保って暮らす現代人。
そうすることで健康状態を保てたことは承知していますが、
これ以上自然から遠ざかりたくないと思う私です。
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時々電車に乗るのが私の心の安定法
ジェントルピンクのシート
遠出したときは、ホームグラウンドへ戻った感じがします