桜は人が植えたもの。
植えた時の思いがあるもの。
昨日、たくさんの桜をみて、それに気づきました。
小湊鉄道のホーム付近でよく見かけたのは、枝垂れ桜でした。
こぢんまりと、景色に納まっていました。
ソメイヨシノは、学校や公園、川辺に何本も植っていました。
どこもほぼ同じ咲きっぷりなのは、元々一本の木の枝から増やした
クローンのせいなのかもしれません。
駅ホームとは植えた時期が違っているように思いました。
山道のバス路線では、いくつものバス停のそばに一本、桜の彩りが。
この時期でないと樹が多いとしか感じられませんが、
誰かが花を添えていたのです。
地元の方は知っているのかもしれません。
通りがかりの者にも福を分ける、すてきな仕事が
あちこちにあったのですね。
ソメイヨシノは皆一本の木。ならばいつか寿命を迎え、
ある時期を境にして消えてゆくのだろうか…
私らの世代は、この先50年、100年後に、何を残し、伝えるのか。
つい目先のことに囚われるけれど、
大事なことはいろいろありますね。