おやまーの日々

好きなもの、気になること、日々あれこれ

属性を超えて(続々・観ている。)

オリンピックを目にする機会が、今はほぼ無の私。

記憶にある場面といえば、

スキージャンプの原田・船木、ノルディックの荻原兄弟、

橋本聖子清水宏保…、その頃活躍していた選手の姿。

アナログ放送終了とともに、我が家のテレビの歴史も終わり、

特に追うこともしないからアップデートしないのです。

 

一番新しい記憶は、あるとき偶然つけたラジオの中継の数分間。

静かな緊張感。

音楽とともに、実況のことば。

フィギュアのリンク、選手の演技中ということはわかりましたが、

ルッツ、何々アクセル、など、聞いてもピンときません。

イナバウアーだけは、姿が浮かびました。

荒川静香さんのフリー、金メダルを決めた演技でした。

コスチュームも何もわからないけれど、

あの中継でリンクや観客と確かに繋がっていました。

同じ時を過ごした、という感覚がしみじみ沁みました。

 

多くの人と同じ時間や場面を共有したという感覚が持てるものに、

かつては流行歌がありましたが、

今思い浮かぶのはオリンピックくらいではないでしょうか。

個々のスポーツの世界大会より広く軽く、観られるもの。

そう思うと、オリンピックは貴重な場。

中継や報道で伝えてくださる方々の行動があるからこそ、

ファンとまでいかない私も楽しめ、共有できるのですね。

ラジオ、テレビ、SNSやインターネット、

伝える手段が増えて、見方も枠におさまらなくなって、

それは、視覚障害聴覚障害や言葉が不自由な人などが、

同じ場所に一緒にいて、それぞれの感覚で受け取っていて、

その歓声や呟きを感じながら過ごしているようなものに思えて。

今はそんな時代なんだなあと、強く感じました。

 

「観ている。」という連載を追いかける見方も、

インターネットで気軽に見られる環境があっての、この時代の偶然。

次回は環境が違っているかもしれませんし、

そもそも連載はあるのでしょうか。

貴重な、楽しい経験でした。

 

18 ごあいさつ ルールと身体と感情。 | オリンピックを観ている。 – ほぼ日刊イトイ新聞

ルールと身体と感情

体育は全見学、見ることはできても深くは共鳴できない私は、

身体の受け止め方が違うし、ダイレクトの熱量についていけないのかな、

と、感じたのでした。(我田引水かも)

 

 

ほぼ日の永田泰大さま

17日間日々刺激を受け、楽しかったです。

知らなかった世界を見せてくださってありがとうございました。

北京2022 の知的種目:テキスト編集の永田氏に金メダルを贈ります。

 

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