曇りから雨。
昨日の余韻を感じつつ静かに過ごした日。
私は子どもの頃から植物に親近感を持っていました。
今だけの話ではないのですが、
この一年、近所で何軒もの家が消えていき、切なかった。
刈り込まれた木も、美しく花開く草も、みな家とともになくなり、
一面土になって、そのままになっているところが何カ所も。
今まで愛でられていた草木が、世話する人がいないからと捨てられています。
その土地に長年生きていたとしても、根こそぎ取り払われます。
そこに住んでいた人や生き物の歴史が無にされている。
昔はそうではなかったでしょう。
道路計画のルート上に大木があって、
道路のほうが避けることになった例もあるとか。
長年の生きたものへの敬意もありました。
このままでは、百年・数百年後の名木がなくなるのでは?
名木になるような木が、今の年代からは育たないのでは?
明治神宮も、有名な庭園も、百年以上の歳月を見越した成果。
ではこれからは?
犬や猫を保護する人はいますが、植物はそこまでいきません。
私は犬猫よりも、植物に反応するようです。
訴えても取り合ってもらえなかったり、悲しい目に遭ったり、
犬猫保護に気持ちが向かうのは、きっとそんな経験をした人。
覚えがあるから放っておけないのではないかな。
だとしたら私は…。
声をあげられないまま横暴な振る舞いをされる植物の姿に
覚えがあるからなのか…?
それはともかく、
ここは誰それの土地だとして、害のない生き物を排除するとか、
日当たり風通しを考えず住む人がいるかもわからない建物を建てるとか、
他の生き物とともに暮らしていることを考えない愚かな振る舞いは、
もうやめませんか?
昭和半ばに計画されてできた大規模な団地の四方を歩き、
住居周りの公共のスペースが大事にされ、
公園は樹々が育つのを見越して作られているのを見て、
見識の深さ豊かさに感じ入りました。
機器に依る快適さとは別の豊かさは、
もう取り戻せないのでしょうか?
関係ないけど、気持ちが明るくなります
以前見かけた自販機