おやまーの日々

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かつての手が生み出した布や衣服

博物館のこぎん 布の展示 この記事の続きです。

草木の繊維をとり、布を作り、衣服をつくるのは、古くから行われてきた営み。

機織りなどの道具はなく、手仕事でも手工芸展とは違い、

かつて使われていた実用的な衣服の意匠とその美を見せる、

いわば民藝の視点での、衣服としての布の展示。

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木綿の衣服が普及した江戸時代から、輸送手段が発達するまでは、

棉が育たない東北では、着ることは難しかったでしょうし、

寒さ対策もしなければならず、衣服の工夫が欠かせなかったでしょう。

かいまきに13kgとあり驚きましたが、詰め物は苧ガラ(綿と違う植物の繊維)でした。

着て歩くものではないでしょうが、軽い素材がなかったための不自由なのですね。

 

図録を読み、知り、気づきました。

青森の農民は木綿の衣類を禁止されており、寒さに対する工夫でこぎんが生まれた、

という話になりますが、それは事実ではあるでしょうが、

木綿が着られていたから禁止した、ということがあったとも。

江戸時代といっても長い年月、時期を限定しても時間は長く、

その中で起きたことを、短い言葉では説明できないものです。

農民が皆すべて貧しかったとも限らないでしょう。

モノの見方が、今は深くなっているのですね。

裂織は木綿布を裂いた糸を使うのですね。

襤褸も、木綿を縫い付けているようなもの。

木綿の布は作り出せない地でも、着用が禁止されても、

その暖かさが必要とされていたんですね。

 

こぎん刺しや菱刺しを生んだ厳しい衣服事情、厳しい気候。

ただ、糸を作り布を織ることから始める労働は、苦役とは限らない。

それは、作り手に尋ねてみなければ、わからない。

模様を綴ることを見出し、美しく刺そうと工夫し、かたちになるまでの楽しみ、

農繁期にはない静かな、自身の力で進んでいく過程。

外仕事ができない時期が長いから、衣類を整える時間が増えたのでは?

厳しい自然の中に、そんな恵みもあるのでは?

この展示では、布が織られる過程は感じられず。

そういえば織の工夫が施されるのは、献上するような布かもしれません。

丈夫で目の詰んだ実用的な布、ここでは平織が並んでいましたね。

美しいものは残され、展示されるものは、さらに選りすぐり。

そんな品々ですもの、できるだけ丁寧に見ていきたいもの。

 

こぎんの衣服の展示を古民家でみた時には感じられた衣服からの気配が、

ガラスケースの中では、まるでよそゆきのように、

人から遠ざかったもののように感じました。

今はなきアミューズミュージアムでの触れられる展示も、

貴重な機会だったのだと改めて思いました。

こんな美しい布、絵葉書にしてほしかったなぁ。

美しいものは、見てもらいたいもの。

グッズは図録と、何故か缶バッチがありました…

 

図録の内容も興味深いものでした。

衣服を縫う、着る、洗う時の忌みごとの伝承など、

今は残らないだろうなと、時代の違いを改めて想うのでした。