なんだろうな、と思います。
オリ・パラ音楽担当の人の件。
ネットニュースで見ていて、それはどうなの?と思うことが、3点あります。
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過去の行為を他人が取り上げればとりあげるほど、被害者が傷つくのではないか?
悪びれもせず加害者が語った言葉=被害者には忘れたいことが、話題になっています。
被害者を支持する気持ちからとしても、傷口に不用意に触れているのではと、気がかりです。
だから、心配りは必要でしょう。話題にしないという対応も含めて。
加害者が有名人でなければ、当事者とその周囲の人たちの問題です。
遠くの人は口出せないはずですし、本来なら当事者同士で決着をつけるもの。
大きな問題になって加害者に謝罪されたら、被害者は素直に受け取れるでしょうか?
その意味では、話題にすればするほど被害者の安らぎを奪うことになると思います。
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加害者のやったことは、私も許せません。
ただ、それを大勢で言い立てるのは弱いものいじめと変わりがない。
「責めるられるべきもの」として、小山田氏にとっての弱みを突いているのですから。
SNSやマスコミで責めるのは、遠くから石や卵を投げているのと変わりません。
相手が芸能人有名人だからといって、やっていいことではないでしょう。
もし、責められるべきことをしたから自業自得、というのなら、
役に立たないからと責められて攻撃されるのと同じと感じます。
障害がある人は、そんな扱いを受けることがありますから放置したくない。
いじめを連鎖させないでほしい。
もういい加減に、そういうのはやめましょうよ。
大人のルールを作りましょうよ。
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今まで、大人としてありえないことだと指摘する人はいなかったのでしょうか。
インタビューのときは?
掲載されたときは?
それをみた読者は?
それでも仕事を頼んだ人がいて、彼は活動してきたこと、
たくさんの人が関わっていながら、犯罪的なことが見過ごされたと、私には感じられます。
いじめ行為と同じくらい、そのことが怖かった。
また、見過ごすのですね。
そういう人たちが国を代表する組織にいるのですね。
時間的に変更することができないのなら、そう言ってもらえばまだ納得できます。
それは伝わってきませんし、そういうことでもなさそうです。
昭和の時代ならともかく、今の時代、国際的に注目されるところで、この対応…
かなしい。
意識しないとなくなることがない犯罪を軽視する国の国民ではなく、
地球民でいようと決めました。
※最後の一文を改訂しました(2021.7.20.21:34)