夕方からは冷えも感じましたが、
建物が霞み、春雨の風情でした。
このまま暖かくなるといいなあ。
そんな思いの、おやまーです。
今日、偶然会ったTちゃんが、今までになくきれいで素敵でした。
再会を喜んだものの、
そのことを何も伝えられなくて。
うっかり者なんですね、私。
それを気づかなければ悩みもしないけど、
気付いてしまうから、後悔にもなる。
でも、昔ならダメな自分という気持ちを引きずったし、
きれいな相手に気後れして、すなおに喜べたかどうか…
それに、自分の姿は、なかなか素敵に思えないもの。
他人に見せている姿は自分で見ることはできないし、
毎日見ていれば、少しずつの変化は感じとれないだろうし、
寝起きや不機嫌な姿を知っている自分と、外の姿しか見ない人では、違っていて当然。
人の眼に映る自分の姿も、自分なのに、気付かないし、
素敵と言葉をもらっても、家での自分が浮かんで、
そんなじゃないよと、謙遜どころか否定していたり。
不思議ですね。
素敵と言われる自分も、家の自分と同じ、自分なのに。
どちらも、自分の一面。
そんなことをつらつら思っていて、ふと思い出しました。
実家にいた頃のことです。
近所の人に「娘さん見かけたけど元気そうね」と言われたけど、
出かけるときは元気なんだよね、と母は時折言っていました。
相手にもそんな風に伝えていたようです。
私が家に居るときの姿が、母にとっては基準なんですね。
家に居るときは、休んでいたいとき。
外出しては、ぐったりしている。
内部障害がある私が心配だったのでしょう。
見えない想いをかいくぐろうと、
ずいぶん頑張ってきたんだなと、
改めて感じながら、
穏やかに変化している自分を少し頼もしく思いました。