晴れたが、風が吹き荒れる。
暖かさに身も緩みます。それとはうらはらに、激しい大気の変動のためか、
だるさがつきまとっています。
ひとことで言えば、からだが重い、気が重い。
気持ちが弾みそうでいてブレーキがかかるような、こんなとき。
座ってできる手仕事に力付けられます。
体調管理という言葉が要らない暮らしをしたいと、近頃思うのです。
身体が丈夫になりたいというのとは違います。
身体に合わせて今日やることを選び、積み上げていけば生活がまわってゆく、
そんな暮らし方をしてみたい。
体調を管理ーコントロールできるという発想では、思い通りにならない身体は異物になってしまいます。
心と身体、両方あるからこそ私のはずなのに、ケンカしているみたいに思えてきます。
仲良く平和でいたいから、管理ではない方向へ行きたい。
‘農とは人間が天地と一体となることだ’
先日読んだお百姓さんの本に紹介されていた言葉です。
田畑の管理ため、草取りの労働を減らすために、他の生き物の生活を奪う近代農業。
トンボや蛙と共に暮らす百姓の暮らしは、天候により、季節により、仕事が日々違う。
それが太古からの暮らし方だったのでしょう。
天候により、季節により、日々違う体調を感じとれる身体を持つ人は、身体に合わせた暮らしをして、
気候という自然、身体という自然と調和していく方が幸せになれる。
そんなふうに思えてなりません。