晴れ。寒い。
鏡開き、開かなかった。
というのは。
鏡もちは買わず、小さい丸もちを重ねて、上に小ミカンを載せていた。
ゆえに、そのまま湯で温めて食べられた。
これは、鏡食べ?
上下を開いた?
ピッタリ密封の鏡餅は、開けるのに力が要り苦労する
つきたて袋入りの鏡餅は、ブルーチーズと見まごうほどカビに見舞われた
個包餅入り鏡餅は、プラスチックの外身と少ない中身に疑問になった
そんな変遷を経ての、丸小もち重ね型。
みかんの方が大きめの上下同じサイズの餅を、鏡餅といってよいのか、といえば、プラスチック型よりもいいのでは。
みかんを載せたのは今回が初めて。 サイズとしては金柑がよかったけれど、転がりそうだし。 先日の地震にみかんが落下したから、金柑なら紛失だな。
本来は橙、次世代がない家にダイダイは必要ない気がするし、プラスチック飾りなら、ミカンのほうが供え物になるのでは。
そう考えると、いわれのある様々なことも、今の時代に合っているかと疑問になる。
鏡開きも、ただ割って食べるというより、振る舞い、皆で食べる意味があったはず。
そう考えれば、家族と暮らす人は別として、実家に飾り食べに行くとか、単身者のために地域の行事にするとか、今の時代に合うやり方にしていかないと、それこそただのお飾り。心ないお供えになっているようで。
プラスチックに包まれた大量の鏡餅をスーパーで目にする度、強い違和感がある。実家には飾る文化はないのに、何故そんなに気になるのか不思議。