多くの人が亡くなり、それまでの暮らしが一変した日から7年。
悔しさ、かなしみ、優しさ、もどかしさ、疑問、光明、希望、いらだち…、たくさんの感情はあるけれど。
数多いる亡き者は、足下の地面に、目前や周囲の空の下にある。今は見えぬ者とともに、この地で生きていこう。
あの日をきっかけにあらわになった、命を損ない続ける目に見えない危険物。
そこから離れた場所にいる私は、その近くにあったものをよけることなく、責任を問う争いに加わることなく、日々を過ごしている。
それは、うつれば重くなるかもしれないからと風邪らしき人をわざわざ遠ざけたりしないのと同じこと。傷から全身を侵すことのある感染症にかかったときに"ケガなんて脳は何やってるんだ!"と言わないのと同じようなもの。
全身がどうあろうと、心臓の細胞なら動き続け、免疫の細胞なら戦い、その場の役割によって生きるという営みをするだけ。避けられない死のかたちを問うよりも。
これは、私だから思ったこと。当事者なら、こんなふうには思えなくて当然。
誰のせいにもできない生まれながらの疾患、同病の人を失うという経験が私の源にある。
自分が感じとったものから想いを巡らし、進む向きを決める。たぶん誰もがそれしかできない。
私の祈りは、忘れずに生きていくという誓い。
皆で幸せになることが、誰もが当たり前に暮らしていくことが、今は亡き人たちにとっても一番の望みだろうから、そこへ向かって。